在独 43年(1975年来 ベルリン在住)
異文化理解と適応能力育成(インターカルチュラルトレーニング)の講師
独日文化専門
フィッシュ三枝子(旧姓 廣田)長野県岡谷市出身です。
1975年にベルリンで暮らし始めた当時の私は、あまり幸せではありませんでした。
41年前は、東西ドイツ・東西ベルリンがあった時代。西ベルリンで暮らす日本人は
あまりおらず、コンピューターもインターネットも無い時代でした。
一緒に暮らしたいと思ったドイツ人の元へ来たものの、ドイツ語は全く出来ず、彼は
一日中、大学で勉強でしたから、話し相手も見つからず、一人家の中で悶々として
いました。
外に出て街を散策するアイディアも無ければ、なぜ東西ベルリンがあるのかも知らず、
知ろうとするアイディアも無く、ただ彼の帰りを待ちわびていました。今から思うと、
なんとつまらない、くだらない日々を過ごしていたのだろうとあきれてしまいます。
当時の私は、日本社会で得てきた価値観や、会話の仕方などに非常に大きな
影響を受けたままで、批判をしたり、自分で考えて意見をまとめるなど、到底出来ず、
大変消極的で受身感覚しか持てない、哀れな人間だったと言えます。
このような、社会的には一見静かに収まったような状態の「女・妻」を役目として
暮らし始めましたが、あらゆる面でドイツとの文化の違いに悩まされる毎日を
過ごしていました。
その後、ドイツ語を習い、ドイツ人と仕事をし続け、不当解雇にも遭って裁判を
起こして勝ち、戻った職場でいじめに遭い、だんだん自分の意見をまとめることの
重要さ、それを伝えることの重要さを感じました。
ドイツ人はいつでも「三枝子はどう思う?」と質問し続けてくれます。答えがみつか
らなかった三枝子もだんだん、「私はこう思う」と伝え、「理由は・・・」ということが当た
り前になりました。
三枝子の目的
ドイツに来た当時、私が抱えた不安やイライラ生活は、私だけの問題ではないこと
を確信し、以来、日本からいらした方に、快適なドイツ生活を送っていただけるよう、
暮らしの情報誌「あっそう」を作り、自己出版の本(ドイツ暮らしの説明書)にもして、
提供しています。
最近は、これが日本の美徳や日本語自体の構成に起因し、さらに、日本の学校教育
に「人とコミュニケーションするための外国語」が無いことが、私たちの外国生活を困
らせることを確信しました。
そして、「ドイツ語を話す」ことで、自分の感情を伝え、事をはっきりさせていく過程が、
最終的には私たちを幸せにしてくれる」ことを確信しました。
2009年には異文化理解と適応能力育成(インターカルチュラルトレーニング)の
講師 (独日文化専門)になり、異文化をどう受け容れ、自分なりにどう対処すれば
ウツにならないかを皆さんにお伝えしています。
さらにB2を習った方でも話すことが出来ない方を何人も見ていますので、ドイツ語を
習う以前の問題、「人と会話をする時に必要なテクニック」について指導しています。
これらは、ドイツをはじめ先進国ならば、必ず学校で教えています。ドイツの小学校
2年生が習うテクニックを見ると、それが私たちにとってはかなり程度の高いもので
あることがわかります。私たちには「会話のテクニック」が非常に不足しています。
そして、日本語で話していると、その不足にさえ気が付けないのです。
なお、私は「ドイツ語で会話をする」ことで、日本の美徳や価値観から離れることが
出来ました。とても自由に、自分で考えて責任を持つことが、こんなに自分を解放して
くれるとは思いませんでした。このような素晴らしい価値観に出会い、とても幸せです。
皆さんにも是非味わっていただきたい幸せです。
以下、私の生い立ち、考え方などを記します。
4人姉妹の3番目。女子高、女子大と、男がほとんどいない世界で育つ。それゆえ、
男性を「男だから」と見る意識はあまり育っていない。誰でもまず人間としてみること
がモットー。 どの国の異文化人と接する時も同じ。
女ゆえ、お茶を習い、お花を習い、見合いの準備をするという伝統意識は、女の人権
を全く無視した考えであると理解するので拒否。本人が伝統文化を習いたいので
あれば、話は別。
子供のころから「外国で暮らしてみる」のが夢だった。行き先はどこでも良かったが、
資金が無かったので、資金なしで外国へ行く道を探す。運よく、海外青年協力隊員
としてインドへ2年行くことになる。親にも誰にも相談はしない。自分で決める。何が
起こっても責任は自分だけにあることは承知の上。親でもその荷物になってはなら
ない。自分の足で歩く覚悟を持つのは常識であると考える。親もそういう私を信頼
してくれ、「あれをするな、これをするな」と、言われたことは無かった。これは親に
もらった最高の贈り物!
ドイツへは来たくて来たのではない。一緒にいたいと思った男がベルリンで暮らす
ドイツ人であったため。当時はドイツがどこにあり、ベルリンがどうなっているかは全く
知識無し。東西ドイツがあることは、オリンピックで器械体操に強い東ドイツの国歌斉
唱で知るくらい。
ロンドンからヒッチハイクでベルリン入りしたことは、当時の東西冷戦時代の貴重な
体験。しかし、それはドイツで暮らしはじめてからわかったこと。
国境の存在の意味を感じられない日本人として西ベルリンで暮し始める。この街は
本国、.西ドイツに存在するのではなく、東ドイツの真ん中にある、しかも壁に囲まれた
街。ここで東西冷戦時代から暮らしてきた経験はとても有意義で貴重。壁が崩れた時
の感激はひとしお。
ドイツでの暮らしは当時から現在でもずっと独日の違いを考えて暮らす毎日。その
違いを意識し、それをどこまで受け容れて日常生活に導入していくかが毎日の課題。
異文化を理解することとその違いを受け容れて実行することとは別なので、困難が
伴う。
独日の習慣・価値観・文化・政治・国民意識・デモクラシー・人権・女の人権
・教育システム・仕事のシステム・会話の仕方・意見の持ち方・休暇の過ごし方
・お風呂の文化・恥の文化・歴史が残したもの・戦争の反省の仕方・ヨーロッパ諸国
との関わり・世界政治との関わり方・反原発活動・言論の自由・消費・保障・医療
・宗教などありとあらゆる日常の出来事が日常の会話のテーマになった。
ドイツと日本の習慣や価値観は正反対なものが多い。それゆえ誤解が生まれがち。
私のしたあまり嬉しくない経験や遠回りは、ドイツで暮し始める日本人の方には不要
になるよう、暮らしの情報誌を作って配り、本にして提供し、皆と話し合い、アドヴァイス
をし続けている。
福島の事故以来、「自分の意見を持てない日本人」と「個人の本音の考えを公表
できない日本社会」とデモクラシーの基本である「言論の自由が無い日本社会」の
存在に唖然とする。
「自分で考える人つくり」・「自分の発言に責任を持つ人つくり」・「自分の意見を自由
に述べることが出来る社会つくり」が日本人社会には不可欠だと思う。
つまり、日本の美徳や義理・伝統意識を崩して、もっと人命を大事にし、人命を守る
ことが私たちの権利であると、しっかり意識する人が増えて欲しい。
それには、まず、自分の意見のまとめ方や伝え方を習うことだ。三森ゆりかさんの
指摘する現状の日本の言語技術教育の不足を私なりに支持し、「自分で考える人
つくり」をし続けていく。そのために「会話の基礎レッスン」を始めた。
自分の意見が無い私。自分の意見をまとめられない私。あらゆることに
知識が無いため聞かれたことにすぐ返答できない私。ドイツ語が間違って
いないかと気になり話せない私。何年暮らしていてもうまくならない私の
ドイツ語。ドイツ人の会話に割り込んでいかれない私。プレゼンなど、とんでもと
ないと引っ込む私。ドイツ人とのディスカッションで一言も言えない私。
こんな私は過去の私になりつつある。意見をてきぱきまとめることはいまだに
不得意。
話すために必要な情報はかなり集めたが、毎日新しい情報が生まれてくる。この
変化をしっかり追いかけていかないと人との会話が出来難くなる。ドイツ人と話す
ことに不安は無い。わからなければわからないと言えるようにもなった。
ドイツでも専門学校に行き、大学も卒業した。ホテルのメイド・ウェイターの仕事
・掃除婦・電話器の組み立て流れ作業もした。ドイツの会社に勤務、雇用者や自営
の経験、ドイツ企業向けに異文化理解の講習をしている。日本語と文化も教えている。
学歴/資格:
・ 体育大学卒/体育教師(日本)
・ 工業ビジネスマネージメント学校卒/資格取得(ベルリン)
・ 工業大学卒(TFH)情報処理学/Dipl.-Ing. FH(ベルリン)
・ レトリックとコミュニケーションのトレーニング受講(ベルリン)
・ インターカルチュラルトレーニング受講(ベルリン)
・ 労働法・経営組織法・労働協約法など、ドイツ労働事情の 基礎研修受講
(ベルリン)
・ ベルリッツ語学学校の教師教育受講(ベルリン)
・ 異文化理解と適応能力育成(インターカルチュラルトレーニング)の講師の
資格取得 „IKUD® Seminare“ (ゴティンゲン)
外国生活:
・ 2年間、海外協力隊員としてインド 勤務(体育教師)
・ 1年間、ロンドンで語学研修
・ 43年間、ドイツ滞在
ドイツでの仕事:
・ 32年間、ベルリンのドイツ企業勤務
・ 12年間、ドイツ企業で経営評議会員の経験、副議長も勤める
・ 26年来、ドイツ企業向けに独日の文化理解のサポートと研修提供
・ 9年来、日本語指導:言葉と日本文化の背景説明
・ 7年来、日本人向けドイツ語の会話の基礎レッスン(発音・言語技術・勇気付け
など)
・ 32年間来、夫ドイツ人の企業興しと経営サポート
・ 43年間、ベルリンで独日文化の間で暮らす
言葉: ・ 日本語 ・ ドイツ語 ・
英語
著書および出版: 「あっそう」ドイツ・暮らしの説明書 第3版2013年(日本語)
(ドイツで出版:日本ではゲーテ書房で購入可)
趣味・好きなこと:
・ 会話の基礎を伝えること ・ 日本語指導 ・植木を育てる ・写真 ・歌うこと
・ 音楽鑑賞 ・バレエ・ 踊ること・ スポーツ観戦(サッカー/アイスホッケー
/バレー /バスケ/ハンドボール/ビーチバレー/器械体操など)
・ 着物と着付け (各種着物の説明付き着物のショウをドイツで17回企画遂行)